Différence
2025SS
Aoyama, Tokyo
CAPTION
記憶をすり替える、くみなおす
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私は幼少のころ、聴覚過敏と向き合いながら日々を過ごしていた。さまざまな治療を受け、今はその感覚すら残っていない。思い返してみれば、幼い私が感じてたフラストレーションは、音そのものに対するものではなかった気もする。
服を作りながら思う。聞こえた音ではなく、違うものに憤りを感じていたとしたら、一体何に憤りを感じていたのだろうか。実のところ、私はそのフラストレーションを克服したのではなく、ただ忘れてしまっただけなのではないか……
私がもう一度、あのつらい日々に眠る記憶のなかの聴覚にアクセスすることができるなら、きっとそのとき、聴覚過敏としてすり替えてしまったフラストレーションを思い出すことができるはずだ。そう、当時の私には忘 れたくて仕方のなかった記憶へ。おぼえた、というより、おぼえてしまったものたちへ。おぼえていたことに意義などなかったとしても、今私のなかで新たな意義が芽生えている。